福島 諭 / satoshi fukushima

2016年11月25日と26日にそれぞれ思い出深い発表があり、今年の発表は無事に終えることができた。 いろいろな要因が重なって一口に説明はできないものの、関わりを持てた全ての人達にお陰様で今は心も穏やかです、ほっとしています、とお伝えしたい、そんな心境でいる。



今年はコーヒーを自分で入れる事の喜びを知った年だった。





父や兄も自分でコーヒーを入れる。子供の頃からそうした姿を見ていたから、自分もいつかは入れるかもしれないとは思っていた。
コーヒーミル自体は2014年頃に映像作家の前田真二郎さんからひとつ貰っていたので、それはありがたく自分のものとして、いつか使う事になるだろうとも思っていた。しかし簡単にはそうならない。分からない事だらけである。そして分からなくても日々生活はできるから僕はいつまで経っても自分でコーヒーを入れなかった。いつかいつかと思っていながら、うまい具合にタイミングが来るわけでもなく、何か決定的な出会いはその後も訪れはしなかった。コンビニやインスタントのコーヒーを飲み続ける日々は何年という単位で長いこと続いた。ただ、密かには思っていたのだと思う。そうでなければ今年になって突然入れるようにはなっていないだろうから。

なぜ今年にそのタイミングが来たのかはよく分からない。単に普段の帰り道でコーヒー豆を売っているお店に足を向けることが多くなったことかもしれない。ある日、何も分からないながらまず安い豆を200g買ってみた、セール中で400円もしなかったからトータルで考えてみたら随分経済的なものだと思ったものだ。

では入れてみよう、と、長いこと眠っていたミルを取り出して頭の中にぼんやりとある段取りを実行する。とりあえず色のついたお湯はできた。飲んでみる。酸味が強い。何となく喉の奥がイガイガする。ただ、一番の問題はこれがどういったものなのかがはっきりと分からないことだった。正しいのか間違っているのか、もともとこういうもので今後の改善の余地がないものなのか、改善は有り得るのか、、あまりにも経験が無かった。ただ唯一、その所作には楽しさを感じた。

ミルのハンドルを回すときは、普段使わない筋肉を使う。腕がだるくなることに、非力な自分を感じて可笑しくなった。
半月くらいの間に毎回入れ方を少しずつ変えてやってみて、良い結果が出たと思えばそのやり方を採用していった。少しして、紙フィルターを予めお湯で濡らすことにした。これは意見が分かれるところらしいが、自分にはこの方が紙臭さが消えて好みだった。実際、最初に入れたときの喉の奥のイガイガはフィルターの紙の味と関係しているように思えた。(フィルター自体も古いものだったからそれが一番の原因だったのかもしれない。)

そうして少しずつ自分の中で基準ができ、多少の判断ができるようになると、ある程度決まったスタイルが自分なりにできてくるもののようだ。そして大体同じ事をするようになる。そして同じ事をしているつもりでも、毎回味は多少違う。今回は良かったと思える事もあれば、あれ、なんで、、と思うほど外す事もある。そこにも面白みを感じる。
気がつけば楽譜と演奏の関係と、これは全く同じではないか、と思う。そして僕は、いつもそれに対して不器用だ。



あらゆる意味でコーヒーには喜びと絶望が混在している。
何だかやる気の出ない夜はコーヒーを入れてみようとする。もちろんそれすらできない日もあるが、実際に入れることの出来る日は、その入れている時間だけがやるべき作業から解放されるささやかな約束された時間である。カフェインにはその後の自分の活力を期待する。ただ、現実はそんなに甘くない。コーヒーを飲んでもいっこうに頭が冴えない時には絶望的な気分になる。むしろ、思い通りになる日のほうが希なのだ。



一日の作業時間でやれることは限られている。しかも毎日機械的に進められるとも限らない。そんなことをしていたらあっという間に11月も半ばになっていて、いくつかの不安要素はいっこうに解決していなかった。一方で濱地さんは着々と今回の発表のために練習をしてくださっているようだった。自分はまだ当日の発表する曲順すらじっくり考えることもできていなかった。

発表の数日前にPA機材が一挙に届いた。今回はどちらの発表もこの機材を使用することになっていた。9月の東京での発表のあとに、父がPA機材を揃えよう、という提案をしてくれた。あまり不安要素を増やしたくない自分は、モニタースピーカを4台調達して済ませようとしたが父は納得しなかった。ミキサーとある程度の大きさのスピーカを集めたいという。結局、そうなると自分の手には余るのでMimizの鈴木悦久さんに相談して良さそうな機材を紹介していただいた。結局、ほとんどの機材は鈴木さんからの提案に従う形になり、注文時には在庫切れになっていたYAMAHAのアンプだけは買えず、QSCという他のメーカーのもので代用した。

メーカー:   Electro-Voice (パッシブ スピーカ)
商品名:    ELX112
数量:     4

商品名:    QSC GXD4 (パワーアンプ)400Wx2、2U、5.1kg 
数量:     2

メーカー:   SOUNDCRAFT (ミキサー)
商品名:    Signature 12 (SIGNATURE12)
数量:     1




機材の確認には数日かかった。まず箱から機材を取り出してある程度配線を済ませたらもう日付をまたいでいた。また次の日の夜に、とにかく2chステレオで音が出るところまではいって、最低限の確認はする。真夜中なので全く音量は出せないがすっきりした音質で再生されていることはわかり不安要素のひとつは消えた。音質は自分の好みにも合っているようだった。それをMimizの鈴木悦久さんに伝えると、その音質的な特徴を鈴木さんも理解しているようで話は早かった。単純にそういう話ができるのは嬉しい。良い機材を教えてもらい大変に助けられた。
本番はこの2chセットをもう一つ加えて4チャンネルでの再生が前提になる。事前に試しておきたいが、しかし結局事前に4チャンネル出力の確認はできなかった。

もう一つの不安は、この機材が一台の車に乗せられるのかということだった。発表の数日前の夜に実際に積み込んでみたら何とか納まったのでほっとした。そのまま一旦実家に運び入れることにした。何とか自分一人でも運べる範囲であると実感でき、これも不安要素から除外できた。


24日頃は全国的にとても寒い日になるとのことだった。濱地さんは新潟に雪でも降れば飛行機が心配とも仰ったが新潟は雪が降るほどでは無かった。しかし急に寒くなりかけていたのは事実なので、手袋なども用意して来た方が良さそうです、とお伝えした。
24日の朝に濱地さんからメールが入っており、今回演奏予定の《双晶I》の録音が送られてきていた。じっくりと聴き入る時間は無かったが、冒頭とそれから数カ所を確認してこの曲は大丈夫だと感じた。拍の感覚がなくなっていくような難しい曲であるけれども、しっかりと取り組んでいただけただけの説得力を持っていた。作曲時に考えていた作曲上の視点があり、それを実現していただいていると感じられたのだった。この曲に関してはコンピュータの使用も不要だし、あとは濱地さんにお任せできる。と、まず安堵した。

夕方、新潟に到着していると濱地さんから連絡を頂く。本来なら実際に会って何らかのミーティングでもしたいところだったが、まだこちらの準備が進んでいないので、、と電話だけに留め、帰宅した。明日から2日連続で発表がある。



この時点で、自分の中に不安要素としてあったのは、

濱地潤一さん作曲の新作《respice finem》のコンピュータ処理部分が未完なこと。
4チャンネルでスピーカ機材の全てのチェックが終わっていないこと。
尺八とコンピュータのための《筒風》のリハーサルを行っていないこと。
同じく《筒風》のコンピュータ処理の修正を行いたいと思いながらそれができていないこと。

それに付随する諸々のこと、という感じだった。


24日の夜はとりあえず少しやればできそうな《筒風》のコンピュータ処理の修正を行った。結局変更処理に納得できたのは明け方だった、テスト音源を父に送り少し寝た。


25日「越の風vol5」当日

この日は午前中に機材を会場のYAMAHAへ搬入し、自分一人でセットアップすることになっていた。午後からは順次リハーサルが始まるのでそれまでに自分ができるかどうかという心配がある。会場へは10時入りの予定だったので9時過ぎまでは自宅で作業した。
搬入、駐車場と会場までがそこそこの距離があり、結局搬入からセッティングし音だしまで90分かかった。会場には自分独りだったので、明日の発表予定である《筒風》のテストバージョンなどを鳴らしてみる。音の周り方なども確認でき、ゆっくり時間はかけられなかったがおおよそ音がねらい通りに機能していることは確認でき安堵した。明日の《筒風》は今回のこのバージョンで行くことに決めた。



セッティングも無事終わり、リハーサルの時間まで濱地さんと合流する。本当は濱地さんをお連れしたいラーメン屋もあったのだけれど明日の発表のことを考えるとそんな悠長なことも言っておれず、近くのタリーズでお昼にした。喫煙所もあるし、3時間は駐車場代も無料になるし多少は作業もできるだろうというのが理由だった。

昼食中に濱地さんの新作《respice finem》*1の構成やコンピュータの内部処理の相談をしたいと思っていた。濱地さんからこちらへ提示された音列を記した楽譜や、実際の録音例なども受け取っており、コンピュータ処理の漠然としたイメージは濱地さんより聴いている状態のままで、さて、これをどう処理するべきかというところは未だにうまくまとまっていなかった。事前に提示された音列を純正律で再生させるだけのシステムは組んであったのだけれど、そこでストップという感じだった。
濱地さんの演奏パートは全部で4つということは聴いていて、送られてきた音源も30分弱のものだったので、長大な作品になることは間違いなく、しかし明日の演奏会ではそこまでの長さは難しいのではないかという思いもあり、今回は半分くらいの尺で、パートも2つくらいに絞ってできないかと相談してみた。しかし、どうやら濱地さんの中で4パートが存在することの意味は大きいらしいことは伝わって来た。音列に関しても、単なるいわゆる音列技法的な意味での「音列」では無いことも分かってきた。それは言わば濱地さんの脳内での響き(演奏の際の身体的な演奏可能性とも関係するであろう)のパーティションと考えるほうがいいように思えてきた。濱地さんが演奏中にそれらのパーティションを自由に行き来することで、4つのパート全てが成り立っているという。同じ構造の中から別の様相が生まれてくるように構成されているということだと理解した。それならば、コンピュータは別の方法で濱地さんの提示した「音列」を扱うことに決めた。濱地さんの演奏が「動」ならこちらは「静」だ。その方向性だけは決めた。

*1:ちなみにタイトルの《respice finem》は2012年5月12日に画廊FullMoonで行われた濱地潤一さんとの二人展でのイベントタイトルでもある。ラテン語で、G.ポリアの著書「いかにして問題を解くか」柿内賢信訳(丸善株式会社)のp140に解説があり、そこでは「未知のものを見よ」と訳されている。数学における問題解決の際の心構えのようなものとして解説されているところなのだけれど、僕ら自身の音楽に対する心構えとしても置き換えられると思っていた。今回の濱地さんの新作にあたり、題名はもともと別の名がついていたが、結局最終的には《respice finem》にしたいのですが、と濱地さんから提案があり、僕もそれに異論無く採用することにした。



濱地さんをホテルにお送りし「越の風vol5」のリハーサルに参加。今年の「越の風vol5」へ参加するかどうかの募集はもう随分前(約1年半前?)に行われていた。その際に濱地さんは2016年はおそらく新潟へ行くことが難しい状況になるかもしれない、ということで《変容の対象》での参加は断念することにしていた。それもあり今回は《patrinia yellow》の再演という形にしたのだけれど、いろいろな巡り合わせからG.F.G.S.でのライブの日程と合わせると連日となり、濱地さんのほうも状況は悪い方には進まなかったということで今回「越の風vol5」にも足を運べる事になった。これは嬉しい偶然だったし、何かの強い縁を感じずにはいられない。

今回の《patrinia yellow》は広瀬寿美さんのクラリネットで再演される。コンピュータが、クラリネットが吹かれたかどうかを認識するセンサー部は広瀬寿美さんのクラリネットでは極めて安定して動作した。また、楽譜では正確に指示されていないコンピュータ音との間合いのような箇所は、初演された鈴木生子さんとは明らかな違いが感じられた。想定はしていたが、それが確かめられたのは収穫だったし、それらの違いによって作品自体の印象が大きく変わるのは、この手の作品形態が再演に耐えうる構造を持っている事の証明でもあるように感じられた。

リハが終わり本番までの時間は《respice finem》のプログラミングに充てた。本番は画廊FullMoonの越野泉さんや、父、正福寺の円秀さん、田口雅之さん、濱地潤一さんなども集まってくださり心強かった。時間が心配だった搬出では、父と円秀さん、田口さんが手伝ってくれて想定時間の3分の1で終えられたのは大変に助かった。円秀さんは、今回のPA機材を笑いながらも納得してくれて肯定的な発言をしてくれた。なんだかそれが、かつてのANTI Musicでお世話になっていた頃を思い出されて、あぁ昔はこういう肯定感の中で活動させて貰っていたんだよな、などと思い出した。

外はやや冷たい雨になっていた。

12時前には家に到着し、一段落したら《respice finem》のプログラミングをしようと思ったが、いつまでも頭が冴えない。こういうときはコーヒーも効かないものだ。


26日「G.F.G.S. Label 第一弾リリース記念 福島 諭 LIVE」

起床後に作業。時間はない。余裕があれば午前に父と《筒風》のリハーサルをと思っていたが断念した。家族にも一旦独りにしてもらい、ひたすら作業した。もう決めるものは決めていかないといけない。《respice finem》は私の動きさえ良ければ9月の東京でも演奏するかもしれなかったものだ。しかし、それはかなわなかった。だから、今回はなんとか演奏しなければいけない。昨日の濱地さんとのやり取りでやることは大分見えてきていたのだからもう進めるしかない。プログラミングは一つ一つ慎重に進める必要がある。焦って、原因の見えないバグがあると余計に時間を取られてしまう。しまった、単純な間違いで今回は余計なところで結構時間を使ってしまった。問題箇所を見つけて修正する。基礎ができるとあとは構成の部分に移る。そこまで行けばあとはコピペも効くので早い。何とか今回のベストの形まで持って行けた。今回は毎回濱地さんの演奏パートを録音しながら音列に対応した関係性を維持して毎回積み上げて行く処理とした。こういう発想の静的な処理は今まで行わなかったし、今回には最適だと感じられた。あとはリハーサルの音量調整が上手くいけば大丈夫だろうという段階になったらもう14時頃になっていた。


これから向かいます、と濱地さんへ電話をして新潟へ向かう。途中で濱地さんと合流し二人で会場へ到着。搬入は濱地さんへ手伝って貰い、なんだかんだしているとあっという間に音だしの時間に。出演者の方も集まってくる。リハーサルは音だしや音量の調節だけで終わってしまう。いろいろ気持ちが落ち着かないまま本番となる。会場には多くの人が集まってくださった。


オープニング・アクトとして演奏して頂くpalさんの演奏が始まる。今回も2台のサンプラーを中心にした演奏だが、出音は多様で様々な情景が浮かぶものだった。palさんの演奏に対する姿勢が好みだった。聴いているうちになんだか気持ちも落ち着いて来てあとは自分たちの演奏に集中するだけとなる。



G.F.G.S. Label 第一弾リリース記念 福島 諭 LIVE

11.26 (sat) 18:00 OPEN / 18:30 START
医学町ビル  〒951-8124 新潟県新潟市中央区医学町通1番町41


演目:

1: opening act by pal

2: 《respice finem》('16) *1

3:《筒風》for shakuhachi and computer ('16)
4:《patrinia yellow》for clarinet and computer ('13)
5:《双晶 I》 for soprano saxophone solo ('13)
6:《an_Overture_for_the_still_unknown_band》**

*1作曲:濱地潤一  コンピュータ・プロセッシング:福島諭
**作曲:小柳雄一郎(G.F.G.S.) 福島諭
演奏者:

1: pal
2: 濱地潤一(Soprano Saxophone)
3: 福島麗秋(尺八)
4: 広瀬寿美(Clarinet)
5: 濱地潤一(Soprano Saxophone)



《respice finem》('16)
濱地さん作曲のこの作品、コンピュータ・プロセッシングは出来たてだったため、通しで演奏するのは本番がはじめて。濱地潤一さんの循環呼吸の演奏パートは当初は各5分ほどを考えられていたようだが、今回はライブ用ということで、各パートを少し短くして行うという方向で話はまとまっていた。実際は最初の3パートが2分以内。最後の4パートがその2倍くらい長い感じで、プロセッシング処理が全て終わるまで通して演奏された。
本番中に気がついたところは、やはり濱地さんの生音のパワーが強いこと。最後のパートでプロセッシングの演奏中に録音されたサクソフォンの処理音はほとんど生音の印象にかき消された感じだった。なるほど、という感じだった。それ以外は演奏後、作品のあり方にも納得できたので今後のレパートリーに是非加えたい作品だと濱地さんにはお伝えした。


《筒風》for shakuhachi and computer ('16)
2013年頃から始めている尺八とコンピュータのための作品で今作が3作目となる。2作目の《branch of A》 は予め録音しておいた尺八の加工音源を使用していたが、今作は全てリアルタイム・サンプリングに移行した。大きな構成は前作と酷似している。今回はサンプリングされた音源の流れ方に注意を注いだ。細かな改訂だが前回よりは題名のイメージに近づいたと思えたから幾分救われた。コンピュータ処理の後半は全て16平均律の世界に突入していくのだが、その辺りは今回あまりよく分からなかった。楽器の音色の特徴などと関係が無いならば、改善の余地があるかもしれない。いずれにしろ聴きやすい音響にまとまり過ぎるのは意図するところでは無い。ただ、演奏自体の間合いなどは今回の演奏が良いと感じた。最後のパートは長いカデンツとも言え、フレーズも奏者に任せている。その意味で他の作品と比べたら少し作曲の立ち位置が違う作品となっている。
このスタイルはもう少し推し進めていきたいと感じている。

4:《patrinia yellow》for clarinet and computer ('13)
昨日に続き、広瀬寿美さんのクラリネットで。パート1の演奏のサンプリング部を途中で手動に切り替えた。その方が旋律の全体を捕らえやすいと考えたからだ。それによって作品としての緊張感のような部分は幾分落ちるが、それは私以外には無関係な事柄だろう。いずれはオペレーター無しで自立する作品も考えてみたいとも思う。まだこのPAでの慣れない音量バランスはあったが広瀬さんには安定感のある演奏をして頂いたと思う。
譜面に記載されていない間合いのような部分で、奏者との距離感のようなものは考えさせられた。新しい発見・視点だった。

5:《双晶 I》 for soprano saxophone solo ('13)
2013年に濱地さんからの委嘱という形で作曲させてもらった小品。緩やかな旋律で始まる曲だが、拍感が失われるような仕組みがあって、演奏は一筋縄ではいかないはずだ。元々はアルト サクソフォンのための作品として書いた。今回、濱地さんから《双晶 I》をソプラノ用に編曲して吹きたいとのお申し出があったときは、素直に嬉しかった。簡単な曲では無いだけに、今回に向けての濱地さんの気合いも伝わってきた。実際の演奏も細部に意識の行き届いたものとして聴いた。濱地さんは演奏後に後半が気にくわないと仰ったが、軌道を逸しそうになっても瞬時に訂正されていた様子などが特に、生々しいものだった。その演奏の様子はこの曲を何度も訓練した頭と身体によって支えられていることは充分に分かったからそれをミスとも感じなかった。

6:《an_Overture_for_the_still_unknown_band》('16)
G.F.G.S.の小柳雄一郎さんと共に進めている楽曲で、音色自体はまた再録しなければいけないと思える素材もあるものの、楽曲の持つ周期的な構造にはある特殊な考え方を採用しているから、今後はその可能性こそもっと掘り下げたいと思っている。PAとの相性みたいなところでまだちょっとやりにくいところが感じられ、当日はうまく集中できなかった。この曲だけは9月の東京での本番のほうがまとまっていただろう。まとまれば良いというものでもないが、まとまらずに何も提示できないよりはまとまっていた方がましなのだ。ただ、楽曲の内部構造には多くの可能性があるから来年は一時期それに集中して実験をしても良いと思っている。


++
終演後、急いで搬出をしなければいけなかったが、お客さんの数人とお話できた。皆それぞれに感じるものがあったようで、口にしてくれるのは大変嬉しかった。橋本さんという女性の方は、三輪眞弘さんという作曲家をご存じですか?と質問されたので、私の恩師ですと答えると、あぁ、やっぱり、と言われた。方法主義の頃に横浜でワークショップなどに足を運んだ経験があるそうで驚いた。
マリールゥの鈴木誉也さんとは久しぶりの再会だった。正確には鈴木さんに発表を聴いて頂くのがとても久しぶりだった。尺八との曲が特に響いたそうだ。音楽と親子という関係自体にも感じるものがあったとのこと。僕自身も尺八との楽曲に関しては親子関係というのは外せない要素でもあるし、素直に嬉しく感じた。鈴木誉也さんとは数年前まで能勢山陽生さんと3人でAMLというバンドを組んでいた。また一緒にできる日が来ると良いですね、などと話した。
星野真人さんや昨日に引き続き笠原円秀さんは搬出を手伝ってくれた。大変ありがたかった。昨日円秀さんに感じた感覚をお伝えしようと思ったら、今日の福島さんには言いたいことがいっぱいある、と言われ、あるポイントを指摘された。半分無意識の言動の話なので自覚はあまりなかったが、でも僕ならやっているな、と感じるところもあり以後気をつけようと思った。別れ際に握手したら予想以上に強い力で驚いた。



リハーサルの時間も無いに等しく、音だし中心のセットアップから本番よく乗り切れたと思う。綱渡りの数日だったが、まずは無事に終えられて安堵している。奏者の方をはじめ、スタッフ側やお客さんみんなの波長が良い方に展開したからうまくまとまったのではないかと感じている。

コーヒーはいつもと同じ入れ方をしても、毎回変わる。そして、ごくたまに予想以上においしく入るときがある。そういうときの原因ははっきり言って良く分からない。様々な要素が関係しているはずだけど、ひとつの原因に集約できないのだと思う。僕はコーヒーに関しては素人だけど、発表の、ああいう場で起こったことがどれだけのものだったのかという判断基準は自分の中にできあがっているから、コーヒーよりはよく分かる気がしている。幸運だった。良い時間を皆で共有できたという清々しい気持ちに今なれていることに、素直に感謝したい。


(2016年12月2日までに記す)