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- 《patrinia yellow》再演 2020年2月19日 -









▇「《patrinia yellow》再演 」

▇2020年2月19日
2013年に韓国で初演をさせていただいたクラリネットとコンピュータの為の《patrinia yellow》は、私のライブ・エレクトロニクス作曲作品の中でも特別な作品となっている。それは2002年から試みてきた"生楽器とコンピュータによる室内楽"というアイディアに、直感的ではあるが、ひとつの明確な作曲方針が反映されているように感じられるからである。

《patrinia yellow》の作曲の背景には、秋の七草のひとつでもある多年草・オミナエシ(女郎花)の一年の周期を楽曲に擬えるというものがある。また、その前提を支えている問いは「美しさとは何か」という極めて素朴な疑問があった。時に人は「花の美しさ」を感じる事があるとして、それがいったいなぜなのかという疑問と、ひょっとしたらそれは「音楽の美しさ」を感じる感覚とも接点は持ち得るのではないか、そんな想いから手探りで取り組んだ作品だった。(今ではこの2点を繋ぐ重要な要素は「時間とそれに対峙する感覚」なのではないかと考えている。)いずれにしても、この作品が2013年初演時の奏者である鈴木生子さんの前向きな協力のもと無事完成する事ができたことには、深い感謝の気持ちしかない。

 2020年2月19日(日)は縁あって《patrinia yellow》の再演の機会を頂いた。さらに、この日のクラリネット奏者は初演を担当してくださった鈴木生子さんということも素直に嬉しく感じられることだった。2013年の初演から《patrinia yellow》は再演の機会は何度かあり、ここ数年の機会は鈴木生子さん以外の奏者で演奏されていた。その経験の中では、ロングトーンの多いシンプルな作品であるが故なのかもしれないが、奏者の時間感覚や音色のあり方が作品全体に如実に影響することも分かってきていた。数えてみれば今回で9回目の再演ということになり、ここで一度初心に返るような気持ちで演奏できることは、大変にありがたい事に思えた。

 《patrinia yellow》の楽曲構成は大きく3部に分かれる。クラリネット奏者が演奏するのは1部と3部で中間部の2部はコンピュータのソロとなる。1部は植物の花茎が伸びる場面、2部は開花の場面、3部は衰退・一年の周期を終える場面としている。2部の花の開花の箇所には、1部で演奏されるクラリネットの演奏音をリアルタイム・サンプリングしたものが使用されコンピュータ・ソロの4重奏から開始される。女郎花の花が咲く場面を表している。この日の再演も無事綺麗な花は咲いたと感じられたし、当然かもしれないが、鈴木さんの音色がこの作品に馴染んでいるようにも感じられた。

 終演後、鈴木生子さんが、"花が咲くときに奏者は何もしない(できない)作品なんだとあらためて感じられ、そこが案外、実際の世もそういうものかもしれないなと思いました"というようなことを仰っていたのがとても印象に残った。言われてみればそうかもしれない。そのような深い感性に触れることができたことが嬉しく、《patrinia yellow》にもまた新たな側面が加わったように感じられた。