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Apr.08,2018
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長嶋りかこ"HUMAN_NATURE",『産び(むすび)』
櫻井郁也ダンスソロ新作公演2018『かなたをきく』









私はここ数年でなんだか少し老け込んでしまったと感じている。この印象はまだ何となくという感じではあるのだけれど、身体的にも精神的にも、また創作の面でも少しずつ数年前の状態とは変わってきており、振り返れば取り返しがつかないほどに決定的な断絶が生じているようでもある。

2017年の11月29日(火)に独り車を運転し、東京を日帰りした。目的は三つあったが、そのひとつは渋谷区神宮前にあるGYREの建物内に設置されたインスタレーション、長嶋りかこ氏の "HUMAN_NATURE"を観るためであり、もうひとつはFUJIFILM SQUAREで行われていた「FUJIFILM SQUARE 開館10周年記念写真展 二十世紀の巨匠 美と崇高の風景写真家 アンセル・アダムス」展に足を運ぶためだった。アンセル・アダムスの展覧会には私はそこにどうしても足を運びたい理由があり、ほとんど吸い寄せられるような気持ちで日程を整えたのだけれど、偶然にもアンセル・アダムスの写真に興味があるという舞踊家の櫻井郁也さんとも連絡を取ることになって、ではこの展覧会をご一緒しましょうかという流れになっていた。実際に当日、数年ぶりの再会を果たすことができ、櫻井郁也さんの手にはCD『室内楽2011-2015』が渡ることになった。

2017年12月19日(火)櫻井郁也さんからメールのご連絡を頂く。2018年3月31日ー4月1日に開催予定の新作公演に私の音源を何かしら使用したいという内容だった。今回の場合は新曲の制作はせず、既存の録音物からの使用に限ることが櫻井さん側からの提案として前提にあり、その上で私は音源の編集などもご自身で自由に行える櫻井さんの力量を信頼し、公演に関わる音源の扱いについては全てをお任せする形とした。極端な話、自分の曲が極度に編集加工された形で本番を向かえてもかまわないという気持ちであったし、実際にそうお伝えもした。それならそれで、楽曲の新たな側面と向き合えるような気もしたからだ。

2018年2月24日(土)に東京 三軒茶屋のclinicで開催されていた長嶋りかこ氏の個展「産び(むすび)」に足を運んだ。2017年11月29日(火)に観たインスタレーション"HUMAN_NATURE"でのオブジェクト(赤く長い管(くだ)が結び目を持ちながら吹き抜けの空間に吊されていた)がclinicの空間に移されて展開されているものだった。抽象的でありながら同時に根源的な強さも持つ造形のオブジェクトではあるのだけど、前回は吊され縦方向の残酷さ、今回はどこか横方向の、のびのびと横たわって見える印象に変化していた。空間内に置かれる在り方で、ここまで存在の印象が異なるものかと思われたのが、ひとつとても印象的だった。また、オブジェクトには前回の展示で数ヶ月吊されていたことによる物理的な劣化が、皺や傷となって残っており、その印象も(その時はまだはっきり整理できなかったが)漠然と頭の片隅に留まることになった。

ここ数年でなんだか少し老け込んでしまったと感じている私は、あの個展「産び(むすび)」での作品に刻まれていた皺や傷の意味について約一ヶ月ほどぼんやりと考え、事ある毎に思い出していた。おそらくあの皺や傷は今後も増えていくことはあるにしろ、治癒はしない。そう理解できるのは、あのオブジェクトはあくまで即物的なモノなのであり、生命の循環のサイクルの中には存在してはいないからである。そう頭で理解はできるのだけど、それでもそれが同時に不思議にも感じるのは、翻ってあのオブジェクトの中に生命の循環や時間性などを留めた存在を見出していたからなのかもしれない。人の思考と作品との関係性に改めて気づかされるような体験となった。

2018年3月31日(土)に櫻井郁也さんの新作舞踊に立ち会うために東京へ再び向かった。東京は丁度サクラが見頃とのことだった。東京駅周辺も穏やかな空気が流れていたし、電車の窓からはほぼ満開のサクラも眺めることができた。櫻井郁也ダンスソロ新作公演2018『かなたをきく』(SAKURAI IKUYA DANCE SOLO " FAR BEAT")。かつて一度、同じ会場(Plan-B)で櫻井さんの舞踊を観たが、それはもう随分前になる。実際、7~8年前だと思う。でもその時の感触のいくつかは今でもはっきりと覚えている。実際には吹かない強い風を感じる場面、人の身体は一瞬で形を変えることはできない、だから日々弛まぬ向き合い方をした人だけにしか持ち得ない時間の練り込まれた身体があるはずで、それを私はここで見ているのだという感覚。そんな印象的な夜だった。
今回の舞踊の冒頭は長い無音で、砂の踏まれるわずかな気配、骨のような、砂の乾いた音がわずかに存在する中から始まっていった。暗転からしばらくして最初に照明の当たった櫻井さんの身体は右足の脹ら脛で、なぜかそれはとても若く美しく見えた。20分程度無音の状態から一転して《春、十五葉》('15)がかなりの音量で鳴らされた。音質も良く、妥協の無い音量で、丁度3年前の春に自分が作曲に取り組んでいたときの問いかけが、別の形でまた自分に還ってくるような不思議な体験となった。その後も舞台では合唱曲《Eupatorium fortunei》('15)、クラリネットとコンピュータのための《patrinia yellow》('13)も配置されていた。その他の音源は櫻井さんによる素材やコラージュで、各所に散りばめられている構成になっていた。もともと舞踊を想定していない私の楽曲の質感が舞台上では特殊な領域として存在し得ていたことと、楽曲構成はほぼそのまま残されていたことなども相まって、全体的には多層的なシーン作りになっていたと思う。さらに、呼吸という観点からはロングトーン(時には循環呼吸)を多用する私の楽曲と、櫻井さんの息の詰まるような呼吸と不思議な接点を持っていたりもして、表現領域を広げつつもそれがばらばらになるのではなく各先端で不思議に結び合ってくるようなそんな空間だった。

 約80分程度の公演時間に身体はどれほど劣化するのだろうと想像してみる。常識的に考えて、いま不意に私が意識を失ったとしても、私の身体が腐敗し骨になるまではかなりの時間が必要になる。そういう意味でも約80分という時間は人間の生命にとって、実際に変化するには短すぎるはずである。しかしながらこの日、櫻井郁也さんの存在は、その中であらゆる変化を遂げているようでもあった。ある瞬間には数年前に見た身体の印象そのままに、まるで時間が止まったかのように存在し、また別の瞬間には急激に老いたり、別の人格を纏ったりするのだった。
 決して早めることも遅らせることもできない時間との関係の中で、時の在り方を問うことのできる表現に、一方は非生命のオブジェクトから、そしてもう一方は命そのものから触れることができたような気がしている。特に舞踊からは、自分の過去の表現からの反射も含まれていたのであり、それらの関係は本当に不思議で美しい曲線を描いて結節されているようでもあった。そして今も命はゆっくりと着地に向かっているのだなぁとしみじみとする、そんな感覚もなんだか春らしいのではないか。


(Apr.08,2018)