+   《変容の対象》2013年版


楽譜 / scores
※楽譜のsaxophoneパートは全て In C 表記。


サンプル音源 / sound sample

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総括 / summary +

+ 福島諭より

《変容の対象》2013年版総括文


2013年11月には《変容の対象》2012年版からの数曲を抜粋で初演していただく機会にも恵まれ大変勉強になった。その際に楽譜に書き込まれた情報から思い出される事柄の大切さというものも実感した。奏者へ作品の意図をできるだけ丁寧に説明し伝えたいと思う場面が多かったからだ。それらを語る事ができるのはまず作曲者本人達だけであるものの、なぜそのような音の組織にしたのかは時間が経てば忘れてしまう事もある。奏者へ常に詳細な説明が必要かどうかは別にしても、思い出せる環境にありたいと思った。今回、2013年版の総括文を書くにあたっては強くその辺りを意識した。

2013年は思いのほか個人名義の楽曲を作曲する機会が多かった。2月に尺八とコンピュータの為の《cell walls》、3月にアルト・サクソフォン、2管のクラリネット、オーボエ、コンピュータのための《BUNDLE IMPACTOR》、7月にアルト・サクソフォンのソロ《双晶I》(仮題)、《BUNDLE IMPACTOR》の姉妹曲となる室内向けの《TRIPODAL IMPACTOR》(未公開/未発表)、9月から10月にかけて作曲されたクラリネットとコンピュータのための《patrinia yellow》、11月から12月にコンピュータソロのための《monocarpic erectro》を作曲した。楽譜にして残す必要を考えているものだけでも上記6曲になった。1年に1~2曲のペースで作曲を考えてきた身としては、かなり早い作業期間といえる。こうしたこともあり、あらかじめ試してみたいアイディアやまた別の方向から光を当てたいと考えたものが《変容の対象》2013年の中にも散在する結果となったようだ。曲を音のみで聴いただけでは分からない事柄も楽譜を見れば様々な関係性が読み取れるようなものが比較的多いと感じた。以下の各曲についてはその辺りも考慮して書き留めたつもりである。

《変容の対象》2013年01月 "mode(ロ調陰旋法)"
冒頭文は福島諭から。次の月(2月)に新潟の砂丘館で尺八とコンピュータのための新作を発表する予定でいた。そのために、尺八の理論書などを読んでいた頃だった。理論書は思っていたよりもしっかりと体系立てられており、しかし西洋の理論書とも違う捉え方で成り立っていると思われる部分もあり、大変興味深かった。充分に理解するのには時間がかかると感じたが、とにかく実践的にひとつの音律を使ってみてどのような結果になるか試すのが早いだろうという気になり、《変容の対象》でひとつの旋法を採用した。冒頭文に記載したロ調陰旋法がそれである。pianoの組織はこの旋法にできるだけ忠実に組んだ。しかし、濱地潤一さんのアプローチへはそれを強いるような指示は何もしていないので、Saxophoneの音は自由に選んでもらって良い状態になっているはずだ。旋法上の転調も行っていないから全体を通して一貫したトーンを示してはいるものの、それ以外はこれまでの《変容の対象》で行われてきた、アプローチと何ら変わっていないとも思えた。リズム的な抜き差しを基調に、お互いの緊張関係を保ちながら楽曲は進んでいく。

《変容の対象》2013年02月 "音自体が思考する。"
冒頭文は濱地潤一さんからのもの。この冒頭文から逆に、濱地さんは何かしらこれまでに、作曲上窮屈に感じてきたものがあったのかもしれない、と思ったように記憶している。第2小節目の音数指定が[-0]のみとなっているのも受けて、この月はそれ以降必要がなければ[-0]を貫こうと決めた。[-0]は「任意の音数を並べよ」という意味であり、実質的には初期の《変容の対象》と同じ形態に戻ることになる。かつてはその自由が筆の速度を遅らせたりしたこともあったため、途中から半強制的な音数指定という方法を導入していた。それは実際に一時的な作曲速度の向上ももたらしたが、いつしかそれ自体は形骸化してきているようだ。もう既に二人の中ではある程度基準となる《変容の対象》らしい間合いは確立しつつあったのだと思う。実際、[-0]の指定のみでも何の問題も無く作曲作業は展開していった。
一方でpianoのアプローチは要素を限定した動機を使うことに固執している。2月に初演予定だった尺八とコンピュータのための《cell walls》という曲の内部構造の中で採用していた[5、2、6](合計で13)、という数値関係をここでも採用している。濱地さんからの旋律に対して、まず最初の2音を同音で取り出して5回繰り返し、次は2回、最後に6回繰り返す、ということを行っている。その後は、
[6、2、5]や
[2、5、6]、そして
[2、6、5]、
[5、6、2]、
[6、5、2]でリズム的な要素は一周して、9小節目からは音価を短くして音の積み上げを厚くしていくまた別のアプローチとなっている。こうして結果的にはかなり明確なフォルムの中で楽曲は進行していく。このフォルムはまた音自体とは関係ない、別のレイヤーで思考し有り様を変えているとも言え、これが濱地さんからの冒頭文の意図に添っていたかどうかは分からない。

《変容の対象》2013年03月 "W.A.ベントレーはまた、優れたピアノとクラリネットの愛好家だった。"
冒頭文は福島諭から。雪の結晶に関する本などはこれまでも何度か手にした事があったが、雪の結晶を生涯にわたって乾板写真に撮り続けたW.A.ベントレーが、ピアノとクラリネットの愛好家だったということを初めて知った。《変容の対象》のような形態の作曲を行っていてると、各曲の有り様がどのようなものであっても、例えば結晶の形態が無数の形を持つ事と無関係でないように思えて、どれもが大切な一曲のように感じられたりする。また、《変容の対象》がはじめて奏者の手で初演されたのが、2011年の組曲で、編成がピアノとクラリネットであった事も思い出された。
さて、この曲自体は特徴的なフォルムを持っている。pianoの第1小節の間に決められた要素が3つ込められており(高音の単音から始まり、動きのある中間部と、休符後の和音がひとつ、という要素)、それに濱地潤一さんは4分の1小節を加えて単音を置くという応答で開始された。当初私には少し意外なアプローチと感じたが、とにかく進めることにした。
4分の1小節を挟み込んでいく楽曲の明確なフォルムはその後も続いた。16小節目でこの均衡が破られることとなったが、今度は17小節目に福島から4分の1小節を追加していくようにした。楽譜の上ではある種の対称性が維持されるよう試みられている。

《変容の対象》2013年04月 "怒りの園"
冒頭文は濱地潤一さんからのもの。冒頭文の印象は強く、常に意識されたが福島からのpianoがそれに上手く答えられているのかは疑問だった。後日、何かの機会に濱地さんと会話することがあったが、まったく"怒りの園"にはなりませんでしたな、と笑いながら言われていたのを覚えている。だから、当初濱地さんが意識されたような音の世界には到達していないのだろう。冒頭文の印象から直感的に2012年版の11月"裂かれた片方ともう片方を繋ぐ術など最早無い"、との親和性を感じたが、似通ったpianoのアプローチを意図的に避けるように組み始めたのだけは記憶している。なぜ、そうしたのか、よく分からないがこれはもう性格上の問題としか思えない。意識にのぼるものは避け、それ以上の結果を発見できたかと言えば、少なくともpianoに関してはそのような事はなく、結果的に敗北している。

《変容の対象》2013年05月 "転(まぼろし)"
冒頭文は福島諭から。このころ読んでいた清水博著「生命知としての場の論理―柳生新陰流に見る共創の理」からのキーワードを冒頭文とした。音楽の即興演奏の場に対峙する演奏者の心理や集中力の度合いなどを想像すると、清水博氏の言う「刻々の創造の連続」との共通点を感じ、極めて生命的な場と言えるのではないかという気がしていた。この頃、濱地潤一さんへ《contempt》(濱地潤一作曲)の曲の構造はそのような意味でとても生命的な場になり得ていると説明できる、のではないか、と熱っぽく語ったような気がする。
そうしたもろもろの背景とは関係なく、楽曲は音自身の対話を中心に進んでいく。1小節目の濱地潤一さんからのアプローチも冴えていてその後の方向性も決定された。シンプルだが上手く緊張感を繋いだ息の長い曲想になった。

《変容の対象》2013年06月 "fallen_Adagel"
冒頭文は濱地潤一さんからによる。また、第一小節目を受け取る際にメールに「冒頭文はfallen angel 堕天使とadagioのカットアップ fallen adagelにしました。」と説明がなされていた。また、「それで、動機の1小節目、使われているのはcontemptでも使ったmode2をそのまま使っています。(中略)変容である限り2小節目以降はどうなるかはわかりませんが、(後略)」とのことで変容では珍しく開始時に補足説明の多い月となった。
必然的にお互いが使用しているmodeを記載していくような流れになった。mode自体はある一定の時間演奏され続けなければ聴き手の認知の上では確立されないだろうという予測もあるから、ここで行われているmodeの記述は聴取上というよりは、作曲時の二人の思考がどのmodeに向いていったかを示しており、作曲上の視点を扱っている。作曲時も、聴取感を求める前の記号的なやり取りが多く行われた。ピアノはあるmodeを選んだら、それを一定のやり方で積み上げていくように組んでいた。mode内の音程関係を活かしたまま、相対的に移調(transpose)させるなども行っている箇所がある。
楽譜内の表記では例えば、mode2={0 2 3 4 6 7 8 10 11}とあるところまでが、mode2で使用される音を示している。これは、オクターブを0から11までの12種類の音に分けた時にmodeで使用される音が{0 2 3 4 6 7 8 10 11}の9種類の音であると宣言している。次に各音を、それぞれ0から始まる数字で番号をつける(ここでは0から8の数)。その番号で考えて{0 3 6}の組み、同様に{1 4 8}、{2 5 7}の組みを取り、MIDIノートナンバーで考えて最低音0を62に決定する、というやり方で絶対音を算出している。これらの操作には、Lisp言語で簡単なプログラムを書いて行った。そのため音の操作作業は迅速に行えた。

《変容の対象》2013年07月 "simple_reproduction_1"
冒頭文は福島諭から。冒頭文はあまり深く考えずに付けた。実家でピアノを少し弾いてそれを参考に第1小節目の動機を書いたのだと思う。1-2小節目の応答で濱地さんがメモ書きのように、"think about past improvisation"と書かれていた。いま思えば、冒頭文のreproduction(=再現、再生産、複製品、など)への応答/宣言だったのかもしれない。(また、28日は濱地潤一さんの誕生日で、福島からの返答の際には"happy birthday!!"と綴っていた。つまり、ここには必要以上の深刻さはない。)
楽曲は3回ほど展開するが特に大きな事故も無く《変容の対象》らしいやり取りが続いたと感じている。

《変容の対象》2013年08月 "ある発見されない詩のごとく"
冒頭文は濱地潤一さんからによる。pianoは第1小節目の2~4音目にある半音、トリルのようなアプローチが自分としては使い慣れない(聴き馴染まない)要素であった。中間部まで、異物のように引きずったのを記憶している。良いか悪いかではなく、好みではなかった、という点で判断ミスだったのかも知れない。ただ、冒頭文からの印象で、自分自身からは遠いある隠された存在としての何かを込めたいという気持も働き、その要素をそのままにして送った。些細な一瞬の響きではあるが、想像以上にその後それを採用した事についてはひっかかってしまった。そのひっかかりについて、取り繕うような組織が中間部にあり、その部分は比較的個性的なものになったと思う。終わり方は冒頭文との関係から見ても悪くないと感じている。

《変容の対象》2013年09月 "Rosetta_I"
冒頭文は福島諭から。印象的な動機を書きたいと感じていた。秘密めいているが音楽の知的な部分とも接点をきちんと持つような、そんな動機を求めていた。結果的にはある程度和声的な個性を維持する組織がごろりごろりと繋がったようなものになった。その返答について、1-2小節目のアプローチを苦心されたと濱地さんはどこかで記述されていたように思う。が、その後は上手く展開していったと思う。9月の中旬からクラリネットとコンピュータのための新曲の作曲に取りかかっていた。花の辞典等をめくって《patrinia yellow》と名付けることになったが、まだ明確な楽曲には仕上がる気配もなかった。《変容の対象》はそれとは関係なく進んでいた。

《変容の対象》2013年10月 "fragment...fragment..."
冒頭文は濱地潤一さんからによる。冒頭文の印象から、この月はピアノに強弱記号を多く使用しようと考えた。強弱による階層も明確に記述しておくことで、断片的に扱える要素が増えると考えたからだった。結果的には無理なく様々な要素が絡みあうものとなったと感じている。10月の下旬には《patrinia yellow》の初演が韓国で行われるために《変容の対象》のやり取りもあまりぎりぎりにならないように二人とも何となく意識していたかもしれない。
10月25日に濱地潤一さんから14-15小節目の返信メールでは「一応fineを想定しています。」と書かれていた。普段はなるほどと感じて多くの場合はそれに従うのだが、唯一ここではそれを拒んで先に進めた。韓国でも少なくともホテルではネットが通じる可能性が高かったので、よほどの問題が無ければぎりぎりまでやり取りはできるだろうと判断もあった。音楽自体はまだ終止を望んでいないという感じに聴こえたからだ。これは要因がいろいろ重なったとはいえ、二人の意見が分かれた極めて珍しいケースだと思い、強く記憶している。

《変容の対象》2013年11月 "for_T"
冒頭文は福島諭から。11月の30日には《変容の対象》2013年版の初演が予定されており、同日にMimizのメンバーの飛谷謙介さんの結婚式も行われることになっていた。結果的に濱地さんは初演を見届けに和歌山から新潟へ、福島は結婚式参加のために新潟から滋賀県へ行くことにした。そういうこともあって、(普段は全く考えないのだけれど、)実生活でおこる出来事との接点を《変容の対象》に持たせてみようと考えた。冒頭文は “for T”とした。それ以外の説明は濱地潤一さんへはしなかったけれど、《変容の対象》2013年版の初演の日と、滋賀で行われる飛谷さんの結婚式の日が同じである事は伝えてあったし、“T”の意味は言わずとも理解されているようだった。
誰かのために、あるいは、誰かのその大切な瞬間のために、ということを《変容の対象》に持たせる事が、どのように作曲上の心理に影響するのか、それはやってみるまで分からないし、やるのであれば今月しかないだろうとも考えた結果だった。
とはいえ、第1小節をどう書くかは随分迷った。2つくらいの可能性で揺れていて、結局そのうちのひとつに決定したのだけど、日付はもう12日になっていた。ここで採用した8つの和音からなる響きの連鎖は前の月に初演した《patrinia yellow》で発見された和音をほぼそのまま使用した。これに対する1-2小節目の濱地さんからの返答を見て、2小節目の旋律にまたその8つの和音をはめ込む事が可能であった事に少し驚いた。これで、ある種の変奏曲形式で楽曲が進むことを望む気持が高まった。幸い、その後もなぜか濱地さんからの旋律にその和音がはまるという事が続いて不思議にすら感じたが、ひとまずそれを良しとした。
しかしやがて問題になってくるのはこの曲の終わり方だった。このまま変奏形式のまま終わっていいのだろうか。決めかねて、7小節目は4拍の無音として濱地さんからのアプローチを待つことにした。返信のあった7-8小節目には高音のDの音が三つ。ここまで聴いて、これでfineという可能性も頭によぎった。濱地さんからはそれ以外の情報は書かれていなかったので、ここでfineにするつもりかどうかも分からなかった。結局、判断は自分自身で行わなければならないのだと強く感じた時だった。
考え、ここでのfineでは(奇麗な終わり方でもあったが)なにかひとつもの足らず、短絡的な感じもしたので続けることにした。pianoの8-9小節目、実は最初の音価以外は6小節目と全く同じものが書かれている。あまりそのように聴こえないとしたら、濱地さんからのアプローチに配慮があるからであろう。8つの和音の組み合わせはなんとか辻褄をあわせるようにその後も進むが、とうとう、13小節目から大きく逸脱したサクソフォンのフレーズが訪れる。音楽的にはコーダのようにも思えるが、私はこれを第三の要素と捉え直した。ピアノは結局終始8つの和音進行のみによって構成した。12小節目までの変奏を経て、13小節目からの第三の要素の誕生に至る、印象的な楽曲の締めくくりとなった。

《変容の対象》2013年12月 "歪みの均衡その表出された部屋。あるいはシーン。"
冒頭文は濱地潤一さんからによる。第1小節目のフレーズはとても印象に残りやすいものだった。ただ、今までの濱地潤一さんからの動機とは少し違うものを感じたので、この返答にはだいぶ困るかもしれないな、、と思ったのを記憶している。
ただ、実際は2、3の試行錯誤をしたのみでぴったりと納得できる響きを作る事ができた。濱地さんからの旋律だけのときとも違う新たな印象も立ち現れた。これも非常に珍しいケースだが、《変容の対象》ではごくたまに訪れる。
12月中はこの曲の第1小節目がずっと頭の中で回っていた。
冒頭文からの印象は《変容の対象》の作曲形態ならば実現しやすい領域だとも思えたので、考えすぎずに感覚的に作曲を進めていった。終止ではやはり少し迷いも生じたが、12小節目に、冒頭のテーマの一部を持ってきて歪んだ音価で書いて余韻を付けた。ここでは濱地さんのアプローチは9小節目からのモチーフをフィードバックさせている。冒頭文に添った印象深い終止になったと感じている。

2014年1月2日から5日の早朝までに記す。盛岡、新潟にて。
2014年1月16日に推敲。

福島諭



+ 濱地潤一より

《変容の対象》2013年版総括


《変容の対象》2013年01月_[mode(ロ調陰旋法)]
楽想は内省的である種のミニマリズムも感じる。ミニマルミュージックのそれではなく。自身の文学的興味からすれば、レイモンド・カーヴァーのある種の短編小説を読む感覚に近いが、こういった他分野からの印象、または心象がフィードバックを起こしこの音楽に内在するものと重なり、概念を形成することは近年の自作の他作品に於けるダブルイメージ、トリプルイメージ的概念配置にも繋がっている思考法だ。それらは循環して作品を形成する。

《変容の対象》2013年02月_[音自体が思考する。]
音自体が思考する。ある人には難解かもしれないが、ある一瞬にそれは起こる。その様相が譜面としてこの作品に定着しているかは疑問ではあるが、そういった「こと」を標榜して冒頭文を書いた。自身の組織で言えばその概念と乖離してほとんど書かれているようにも思える。そういった意味では失敗に終わっているということかもしれないが、その時、その概念を《変容の対象》で提示しておくことに留めておこうと思ったのだと思う。

《変容の対象》2013年03月_[W.A.ベントレーはまた、優れたピアノとクラリネットの愛好家だった。]
2013年で最も印象に残った作品。サックスはほとんど吹かれない。言葉で説明は不要だ。何故ほとんど吹かれないのか。譜面を見ればあきらかだ。譜面のヴィジョン的にも美しい作品。

《変容の対象》2013年04月_[怒りの園]
サックス、3小節目から6小節目の切り刻む音符。14から15小節目のピアノの打音。

《変容の対象》2013年05月_[転(まぼろし)]
「一瞬で終わってしまう、、、」そんな余韻を残す作品。

《変容の対象》2013年06月_[fallen_Adagel]
冒頭文はfallen Angelとadagioを接合した造語。技術的にはサックスはmodeを接合した組織で書かれていて、contemptという自作の作品のシステムの引用でもある。何故そのときその引用を試みたのか記憶がまったくないが、《変容の対象》と他作品の相互干渉のような俯瞰的接続意識は常に自身にはあることは確かだ。そういった意味で、実際には例えば自演の機会があって、contemptとこの作品を並べて演奏するというような機会があっても良い。

《変容の対象》2013年07月_[simple_reproduction_1]
個人的には6小節あたりからその前兆があり、8小節目後半から始まる歪みに視線がいく。こういった組織生成の反応は《変容の対象》の興味深いポイントでもある。そして、書いている当時はそれをあまり「意識していない」

《変容の対象》2013年08月_[ある発見されない詩のごとく]
書かれる小節のある部分、小節単位で断層が出来る。意識の断層とでも言うのだろうか、、、そんな断層が楽譜に現れるのもまた《変容の対象》で見られる現象のひとつで、この作品ではそれが色彩の変化を構成しているように聴こえる。

《変容の対象》2013年09月_[Rosetta_I]
記憶では福島さんの動機にこたえる1小節目の組織に頭を悩ませたことを覚えている。サックスは4小節目から10小節目の冒頭まで続く執拗な8分音符の組織を書いた。もっと延々、時間にすれば30分続くあのような形式の組織の作品を書きたいところだが、、、誰も聴かないだろう。
作品はある種の「明るさ」を付帯している。複雑な明るさとでもいうのか。言葉でも組み合わせによっては新たな印象を連れてくるように。誰が書いていたか、「よそよそしい皮膚をした美人」みたいな言葉の連結と《変容の対象》が現す複雑な、、、今作品では「明るさ」。

《変容の対象》2013年10月_[fragment...fragment...]
サックスに関して言えば冒頭文の指示通り断片、断片、の集合体のような作品。1小節目の動機は実際にサックスを持って書いた稀なもの。「断片」に内在するものは技法的なもの、組織形成自体がそれを指すものなど、様々な「断片」の思弁解釈が譜面に書かれているように僕には見える。また福島さんの「それ」も。

《変容の対象》2013年11月_[for_T]
この作品も2013年の《変容の対象》に於ける記憶に残る作品。福島さんの盟友mimiZの飛谷謙介さんに捧げられている。福島さんによる冒頭文の[for_T]の意味、誰に、、、は作品が書き終えるまで知らされることはなかった。《変容の対象》では冒頭文に関しては思考を限定するなどの理由で互いに説明はほぼしない。そういう経緯もあって僕は僕で聞かずに書き進めた。(これは後に知らされたけれど、僕は「知っていて」書いた。完全に確証があってとまではいかないけれど)そういった無言の交感があって、動機、主題は福島さんの組織にそって書いた。fineに向かうサックスの独奏部分とその後のピアノの提示はある種の感慨を連れて響く。

《変容の対象》2013年12月_[歪みの均衡その表出された部屋。あるいはシーン。]
この作品の動機もサックスを持って書いた。1小節目前半8拍分の部分。この動機も強く印象に残るものだ。1小節目、単独で書かれたサックスの旋律が福島さんの組織を得て際立った印象をさらにもった。1小節目だけでも作品として良いと思ったほどその際立った印象の輪郭は心に触れるものだった。6月で書いた歪み、また8月のところで小節単位での意識の断層と書いたけれど、今作品の冒頭文はそういった《変容の対象》で起こる現象を言語化したものではなく、ドン・デリーロの小説「ボディ・アーティスト」の最初の章を読んだことによるものだ。経験の引用とでもいうのか。それを反映して組織されたものが書かれている。サックスのアプローチは後半のリテヌート部分からfineにかけての部分は全体からみれば少し印象が弱い。おそらく選択を誤ったのだろう。思索、概念が音符として定着して後、こういった事後考察も内包したかたちで《変容の対象》は書かれてきた。

2014年1月1日の深夜より2日の早朝にかけて記す。
濱地潤一