+   《変容の対象》2012年版


楽譜 / scores
※楽譜のsaxophoneパートは全て In C 表記。
サンプル音源 / sound sample

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総括 / summary +
+ 濱地潤一より

《変容の対象》2012年 総括


もう3月も後半である。本来は年が変わった直後にこの総括文を書くのが年毎のならわしにもなっていたけれど、今年の初めはどういったわけか心理が泥濘したような重苦しいものがずっと付きまとっていて、この総括文ももう少し心理の明るく軽い時にまとめようと思っていた。今日、福島さんから連絡がありそろそろ総括文をということで、幾分心に余裕も出てきていることだしちょうど良い時期であるように思われるので書き進めようと思う。その旨返事をした。今月は福島さんの新作の初演に奏者の一人として参加した。「BUNDLE IMPACTOR」という作品である。クラリネット2管、オーボエとサクソフォンのアンサンブルにコンピュターというクインテット作品で、そのアンサンブルの斬新な手法を奏者として体験できたことは私の重苦しい泥濘した心理を解いてくれたように今感じている。ここに改めて感謝したい。

1月

この年から前年までのソプラノサクソフォンを想定した作品を変更してアルトサクソフォンを想定する旨了解を得た。その最初の作品である。個人的には3小節目終盤から4小節目の感覚が特に印象に残っている。その後の流れはここを起点として決定付けられているように思う。組織の動きはスリリングである種の自身の出自の影響も垣間見えるがそれだけではないのは福島さんの組織によるところも大きい。2つの異なる機能性が螺旋に進行しているような感じは文字通り捻れているがこれも我々の調和のひとつの一形態とも言えるのは、前年の2011年度版の初演でも充分認識できていることなのでその亜種とも言える。そういった意味では象徴的な「現象」とも言えるのかもしれない。変容ではこういった「現象」が起こる事に重要な意味性を見いだす。それが作品に内包される思想を表出する瞬間でもあるからだ。

2月

今月から福島さんの提案で新たに譜面の冒頭に宣言、あるいは単に冒頭文、または示唆めいた文を書き込むことになった。その文によって組織を定着させる前の心理に大きな影響があることはその後の経験で知るものの、この月は手探りでもあり、またその機能に充分に気付いていない自身を垣間見ることができる。譜面という記録媒体はそいういったものさえ「見せる」ものなのだ。最後のfineのアプローチは個人的には気に入っていたりもする。ここは時間が経っても鮮明に憶えている場所だ。

3月

随分と分裂的な作品である。私が記した冒頭文の影響が中盤は色濃く出ているように感じられるが、その他は混濁している。その混濁は文字と音とがどう干渉し得るかということ以前に言うまでもなく音は音自体で思考する(これも自身の考えだが)ことを優先しているようにも思われる。それは当然ではあるが冒頭文の採用はやはり未だひとつの機能を有してはいないようにも思われる。

4月

今月からさらに音数指定にー(マイナス)の表記を福島さんにより導入された。ーは休符の意味であり、休符の数指定ということである。その場合音符の数は任意で書き込める。今作品における自身の組織は福島さんによる冒頭文の意味することを理解できていたとは思えない。そんな組織が続いている。無論自分なりにはその意味を考えてはいただろうが、それがうまく反映されているとは思えない。しかしながらこの頃よりその冒頭の文の存在が大きくなったような感触は残っていて、そういった意味では印象に残っている作品だ。

5月

この月は冒頭文の影響が音に強く機能していることがわかる。相互理解しやすい文であることも影響しているだろうが、言葉と音との関係性、つまり頭脳にインプットされた言葉のもつ思考帯が音を組織する思考帯とそこで交わり、音となって表出する行程を考えだしていた頃かもしれない。

6月

福島さんによる冒頭文は「静寂を呼ぶ」私の組織は中盤から音数の非常に多いものを採用しているが、これとて、その冒頭文を標榜した故の組織であり、それははっきり憶えている。音数が多くとも「静寂を呼ぶ」ことは可能だと。

7月

この月の冒頭文はよく憶えている。思い入れもあって、そのためか組織に忍ばせた思想、語法の背景も自身では明確だった。実際にサクソフォンでこの連続した組織を吹くことは循環呼吸を使わなければ無理だが、演奏上では任意でブレスの位置をとることをゆるす。けれど、表記はこうでなけれなならない。サクソフォンを想定して書く作品ではブレスのことも当然考えるが、それは最優先されるべきではない。音の構造、かたちを優先すべきだと事ある毎に思う。

8月

個人的には福島さんが書いた動機に対する自身の組織が良くない。それが最後まで影響しているように思われる。面白い箇所もあるが、動機への返答の誤りが全てといった感じだ。

9月

自身の書いた冒頭文は「数式のエレジー」動機からユニークな作品になっているように思う。その動機から色彩は統一されているようにも思うし、変容は途中でがらりと姿を変える、または徐々に文字通り変容して行くことが多いが、これは最後まで冒頭文が機能していたような姿をしている。

10月

変容ではまるで自分が書いていないような感じを思わせる不思議なところがあるが、この月はまさにそうで、どうやって書かれているのかすらわからない、、、ような、、、感触を連れてくる。勿論憶えてもいるし、はっきりした思索の痕跡も当然憶えているけれどそれでもどこかで「誰が書いたのだろう、、、」と思うような感覚が去来する。それが何故なのか、またそれをもたらすのはどういった要因故なのかわからない、、、と福島さんと度々話すことを思い出した。

11月

動機からこういった様相の作品はあまり今までなかった。終わり方も良い。中間部がどこか別の道筋も選択可能のような聴こえ方もするような気もするがそれが変わると終わりも変わる。そういうことなのだ。

12月

この作品も今までの変容では無かったような様相があり、また、自身が書いたようではないような印象もあり、構造は強固である種のカタルシスを誘発するような響きもある。福島さんの冒頭文は無題とあり数式がならんでいるものでその意味を自分は当然理解せずに書いているが、このような試みも福島さんの仕掛ける思索のひとつであり、「それ」によって音が、音の組織がどう立ち現れ、もたらせられたか、、、というような検証の場を与えてくれるようだ。


2013年3月25日深夜。 濱地潤一



+ 福島諭より

総括文 《変容の対象》2012年版 121231-



1月:
濱地潤一さんの第一動機から。今年から使用楽器はソプラノ・サックスからアルト・サックスに変更になった。そのため、これまでよりも音域の広い動機がまず印象的だった。小節が進むにつれてピアノのベースとなるリズムの刻みが細かくなっていき、徐々に楽曲のテンションも高まっていく。濱地潤一さんの旋律の装飾音的な扱いからジャズとの接点を僅かに感じるようだった。13小節目で不意に終わる最後の16分音符三つのリズム的なユニゾンが印象的。

2月:"常に多様で印象的な動機を多く収集すること。そのために起こる前後の断絶について。"
福島からの動機。この月は実験的に冒頭に言葉を添えるようにした。こうした言葉が、その後の作曲行為にどのような影響を与えるか(与えないのか)は関心のある事柄だったが、特別それを強要するものでもないとも考え、文字通り"冒頭に言葉を添えた"だけ、という態度で臨んだ。
この月の個人的な関心としては、第一動機の影響力がその後の曲の進行に強い影響力があることはこれまでの経験で分かっていたので、それをあえて断絶したいという意識が働いていた。印象的な音形の羅列、標本のように集められたフレーズの連続、そのようなものがこの作曲行為で可能かどうかを探りたかった。しかし、結果的には想定以上にはバラバラな印象にはならず濱地潤一さんが6小節目から書いた(断続的に表れる)同音のリズム反復のアプローチが支配力を持ったことで、その他のアプローチは一時的な逸脱に留まったと考えている。印象的な動機とはある程度の反復/再現が必要ということだろうか。しかし、楽曲の断絶という部分では現れている箇所もあるから、それは冒頭文から読み取れる印象と表現領域との接点は感じられるものになったかと思う。

3月:"我々は祈りこそすれそれが何を意味するかわからず祈っている"
冒頭文は濱地潤一さんによる。結局、以後もその月の第1小節を書く者が冒頭文を添えるという約束事ことは続けられることになった。楽曲は謎めいた濱地潤一さんからの動機から始まり、最初は互いに様子を伺うようなアプローチが続くが6小節目のピアノがそれまでの流れをいくらか崩すようなものになっている。この部分は、それが自分の心から正しいと思って書いているのかどうかが少し疑わしいと思いながら採用した。自身の心情と響きとの距離間の問題として落としどころが揺らいでいる。今聴いても音楽的にやや異質だと思う。そのような意味で「軽薄な祈り」のようだとも思う。そう思えば少なからず冒頭文を受けて何かしらの示唆を含んでいるとも言えなくもないが。 楽曲は12小節目でひとつの統一感を向える。当時はここに「くぐもった蒼色の響き(決意)」のようなものを感じた。今もこれまでの《変容の対象》では現れなかった響きのひとつがここで生まれたと思っている。以降もやり取りは続き27-28小節目で不意に終わるかと思われたが、結局もう1ブロック新たな情景が生まれて音価の収縮を伴う終止となった。32小節にわたるやり取りというのは《変容の対象》ではめったにない長編といえる。

4月:"真偽とは。ときに偽りと思える音形も含ませよ。"
冒頭文は福島による。3月の6小節目の違和感がこの月にも残っていたためにこのような冒頭文とした。音を並べる者としては、己に誠実な音形というものに意識的にある必要があるように感じていたと思う。しかし結局、音楽において作者の背後にある意識との一致や不一致というものは、聴き手にとってはそれほど重要なものではないようだった。一聴しただけでは、それをはかり知る術がほとんどないからだ。結果として並んだ音にとっては結局すべてが“真”として扱われるのが常である。 以上のような抽象的な話題とは別に、福島のアプローチとしては、《変容の対象》におけるひとつの偽りを含めてみようと考えていた。それは、こういた対話型の作曲行為においては、終止形というのは特別な意味を持っている、という立場にたったうえで、終止形の多用ということを行った。 濱地さんからのアプローチもあり、結果的には完全な終止感というのは薄れて楽曲は続いて行った。本来音楽というものが終止の連鎖によって成り立っていることも改めて感じた。
16小節目、最後の終止音はやや唐突で空々しく響く。楽曲をどことなく居心地の悪いものにさせているかもしれない。

5月:"刻め。固有の時を。その静けさの内に。密やかに。"
濱地さんからの冒頭文。2012年5月は新潟、画廊fullMoonにおいて濱地潤一さんとの2人展「respice finem」を行った。3小節目の濱地さんからの返信が10日になっており、次に福島からの返答が17日になっている。演奏会は12日だから演奏会前後の余裕のなさが伺える。 テンポ指定は四分音符=30と、とてもゆっくりとした設定になっている。そのため譜面上は細かな音価の並ぶ密度の高いものとなっている。休符の扱いも印象的。シンプルな動機の細密なやり取りによって成り立っている。

6月:"静寂を 呼ぶ"
福島からの冒頭文。福島からの第1小節目は同音の連続による単純なものだったが、濱地さんからの返答で色彩的な旋律が加わった。機能的にもよくできたものなので、一聴すると濱地さんの旋律のほうが先に作られたもののようにも感じられる。それを受けて、3連符の単純な動機も多様に展開されていった。7小節目での唐突な休止が印象的だがその後も楽曲の印象は大きく変わる事も無く続いていった。冒頭文と楽曲の関係は明確な一致を示してはいないと思うが、言葉と楽曲の関係が互いに一瞬意味深くさせるような箇所はいくつかあるようだ。

7月:"男が夢想する夢のような女性像と天使は男だけしかいないという概念の響和音"
冒頭文は濱地さん。意図したかどうかは分からないが、濱地さんからの第一動機は同音のリズム的な反復によって成り立っている。丁度1年の前半後半が別れる月でもあり、先月との対称性を強く感じさせる。しかし、作曲中はそのような関係性はまったく意識していなかった。濱地さんにはひょっとしたらそのような意識は働いていたのかもしれない。
冒頭文は謎めいている。多くの芸術がそうであるように、二つの性の間に生じる様々な感情の有り様は重要なテーマである。"響和音"という言葉の力によってかどうか、楽曲自体に一定以上に複雑な和音は存在せず、形式も逸脱の少ない比較的古典的なアプローチになっている。しかしその上で、冒頭文の狙うところは一段階高次の響きを求めているのだろうと思うし、実際それを求めて試行錯誤が行われているようにも思う。

8月:"色彩を"
福島からの冒頭文。作曲中冒頭文からうける印象を極力少なくしつつ、ひとつだけキーワードを与えるものにこの辺りでしようというような気持だったかと思う。7月の"響和音"についてまだ追求をしてみたいという事だったかもしれない。
実際は16分音符のアルペジオ、その連続が終始貫かれるような形になった。濱地さんの旋律との絡みは一筋縄ではいかないものである。お互いそのスタイルを貫きつつ、中盤からほのかに馴染んでくる印象があり音楽的な熱を帯びてくる。最後、15小節目の終止は唐突に訪れる。二つの5度が短三度で結節された印象的な響きで終わる。

9月:"数式のエレジー"
濱地さんからの冒頭文。エレジーとは哀歌, 悲歌, 挽歌などを指す。"数式"は一般的に抽象的な印象を持っているが、それに対するエレジーという言葉の組み合わせが音楽的だとも感じた。
濱地さんからの第1小節目に対する福島の返答を濱地さんは気に入ってくれたようだった。実際、冒頭から方向性の一致があったと思う。作曲中に細かく考慮した事柄のうちのほとんどは大きな構造というよりは細部の関係に集中して組み上げられていったように思う。軽すぎず重すぎない楽曲の印象が心地いい。

10月:"丸に3つ"
福島による冒頭文。冒頭文の印象をさらに抽象的なものにしてみようという意識で書いた。"丸に3つ"という言葉は思ったよりも難解な印象を与えたようでもあったので、途中でどこから引用された言葉かを解説した。作曲中に解説しても楽曲自体の印象を大きく変更するようなものにはならないだろうと考えたためだ。"丸に3つ"は家紋の名前などを観ていると比較的良く表れる。家紋の外枠が丸、そこに3つの要素が入っている場合などに「丸に三つ○○」というように使われるようだ。
この言葉を受けて、自分自身は音楽におけるトポロジカルに捻れた楽曲の印象を想定していた。ただ、第1小節目の動機は非常に"音楽的"に書いている。第1小節目の濱地潤一さんの応答は見事だと思う。古典的な態度と確信的な裏切りとが同居している。この濱地さんからの応答を受けて、楽曲は徐々に音楽的な乖離、逸脱を思わせる半音階へと移行している。9小節目ほどから、上向と下降の半音階が3つの線になりもつれていくような組織が明確になり、それを終止まで続けるというようなアイディアが頭の中によぎった。想定以上に濱地さんのアプリーチとも相性もよく、最後には濱地さんもその意図を理解して振る舞っていたようにも思われる。派手ではないがこれまでのどの《変容の対象》とも違う質感の曲になったと思う。
また、この月には《変容の対象》2011年版の初演が新潟で行われた。すばらしい初演を濱地さんと二人で聴くこともでき、感慨深かった。

11月:"裂かれた片方ともう片方を繋ぐ術など最早無い"
濱地さんによる冒頭文。1小節目の動機を受けてから返答には一週間ほど時間をおいている。悩んだ末、第1小節目の返答は低音且つ同音の連打音によって構成した。2小節目は濱地さんのアプローチを受けて32分音符の刻みを採用した。4小節目まではその緊張感は続き、5小節目で新たな場面へと変化する。ピアノは音数が極端に減ることになり、濱地さんが冒頭の印象へ誘うような動機も書かれたがすぐにそちらに流れては行けなかった。8−9小節目あたりで両者の間合いが近づきやがて終盤の密度の高い勢いになだれ込んでいく。低音の連打音が遠くで鳴る中、サックスの動機の断片が反復され不意に途切れる。冒頭文と相まって印象的な終止になったのではないか。

12月:"《無題2-2》 相転移" に12×12の行列を追加した。

09  02  04  11  10  03  05  12  08  01  07  06
06  01  02  05  10  09  08  03  04  07  12  11
11  08  03  04  05  10  09  06  01  02  07  12
12  01  08  06  11  10  05  04  09  07  02  03
03  10  04  11  12  05  06  02  09  07  08  01
01  03  10  11  04  12  05  06  02  09  08  07
07  12  01  06  03  10  09  11  04  02  05  08
08  03  01  06  07  02  04  09  12  11  10  05
05  06  01  12  10  03  02  09  08  07  11  04
04  05  10  09  11  06  07  12  08  03  01  02
02  09  08  07  12  04  05  06  01  11  03  10
10  05  06  11  12  07  02  01  03  08  04  09

12×12の行列はマリンバと室内アンサンブルの為に作曲し2012年に初演された《氷中フロレット》の中で使用された行列である。12月は各年の最後の曲であるからいつも考えさせられる。これまではどっしりとした印象のアプローチを書く濱地さんの第一動機(2009年と2011年)のほうが12月らしいと感じていたこともあり、今年は何かそれなりのものを考えたいと思っていた。
この12×12の行列は今年いろいろな曲のエンジンとして使用して来た。元になった曲から抽出された要素を他の楽曲に使用する事で、どんな影響があるのかを知りたいとも思っていた。この12×12の行列をどう使用するかは毎回決まり事は無い。今回《変容の対象》に使う際は主にピッチの関係に使用したが、濱地さんには行列の使用については説明はしなかった。自由にアプローチしてもらったうえで何か違った側面が垣間見えれば良いという態度で臨んだ。
行列の使用を行う事で、必然的に制約は高くなる。これまで使用して来た音数指定の約束事が悪いほうに働く可能性を感じ、今月は「-0」という数値を採用した。「0」が無音を現す厳密な意味を表すため、その逆の意味で「好きな数を使用する」という意味にしている。結果的には「-0」がお互いに高い割合で使用された。
曲はピアノのパートが行列の要素を一巡だけ使用した段階で曲は終止した。11小節で終わっているのは、10小節目に10と11行目のリストを使用したためである。他は1小節内にひとつの行を使用している。濱地さんのアプローチは非常に手の込んだものである。全体としての端正なフォルムが崩れることはなかったのは流石だった。
10小節目と11小節目の濱地さんのアプローチはほとんど同音反復であるにも関わらず、聴いた時の印象はまったく別物のように響く事が驚きだった。今後の作品に活かす事のできる発見ではないか。

2012年12月31日-記
2012年03月26日〜04月02日に推敲
福島諭





+ 参考文章 『respice finem』プログラム・ノートより (2012年05月12日)

画廊FullMoon(新潟)にて行われた濱地潤一と福島諭の二人展『respice finem』。当日配布されたプログラム・ノートより以下当日の曲目と二人の活動年表を抜粋する。



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【第一部】

《Amorphous Ring II》(2010)(再演)
 作曲・システム構築:福島諭 
 Alto Saxophone:濱地潤一
 Computer operate:福島諭

《無題1:氷中フロレットより移植されたもの》(2012)
 作曲・システム構築:福島諭

対談 濱地潤一×福島諭

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休憩(15分)

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【第二部】

《埋没する3つのbluesに捧げるcondensed music》(2012)(世界初演)
 作曲:濱地潤一
 システム構築:福島諭
 デバイス協力:高橋悠+香苗 (Tangent Design Inc.)
 Alto Saxophone:濱地潤一
 Computer operate:福島諭

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活動年表



(出会い)
Feb.05,2008:東京、高円寺 円盤「(ここに音楽を入れてください)」 LIVE:田口史人/a qui avec Gabriel/mimiZ/庄司広光/森順治



Aug.22,2008:東京、高円寺 円盤「日々の音楽~塵となって~」
Live:ふくらはぎばたけ/濱地潤一(sax from和歌山)+福島諭(mimiz from新潟)/井野井譲×Electric Ear/janmah 島村(ギター琴)&後藤将一郎(ギタール)

 「nodal point/modal point」発表



Sep.30,2008:新潟、BOOK OF DAYS 「ネェ ネェ ハマジさん。-SAXとCOMPUTERによる室内楽-」
出演:濱地潤一(sax,electronics from和歌山)/田口雅之(computer)/福島諭(computer&etc.) 

 「nodal point/modal point」他



Jan.01,2009:《変容の対象》開始。



(共演)
Jan.12,2009:名古屋、K.D.Japon 「月曜祝日ノイズ劇場」
出演:みみづ(横浜、新潟、岐阜) / スティーブジャクソン / 濱地潤一(和歌山) / kikuko(vln)+村田十三(dr)+小野良子(sax)



May.09,2009:名古屋, 愛知県芸術劇場小ホール 「電子音響音楽シンポジウム&コンサート2009」

《Amophous ring I》初演。s.saxは濱地潤一、コンピュータのオペレートは福島諭。



July.25,2009:新潟,新潟県立近代美術館  電子音楽室内楽「Ar」
作曲家・濱地潤一を迎えてDuo。お互いの新曲を演奏。

「 triplet trill momenta I 」
「Amorphous Ring I」
「contempt for soprano saxophone and computer」
「composition,impression I」
「composition,impression II」



July.26,2009:新潟,gt.moo gallery  『Ky Japan tour 2009 ~無口なうたとおしゃべりな音楽~』
濱地潤一と福島諭の二人でkyのジャパンツアーにゲスト参加。



Aug.31,2009:東京,円盤『(ここに音楽をいれてください)』
出演:濱地潤一(from和歌山)×福島諭(from新潟)/中尾勘二セッション(中尾勘二tb,cln、古池寿浩tb、牧野琢磨g)
/Shibata&TABATA/BONSAIt(ミヤカワイヅミ/サボテン、ミヤカワアツシ/グンジョーガクレヨン、ウエハラリョウコ/タグチフミヒト)

(濱地潤一作曲《contempt》、福島諭作曲《Amorphous ring I》)



Oct.24,2010:東京,Loop-Line 濱地潤一×福島諭[日本電子音楽協会LIVEシリーズ 電子音楽なう]

(濱地潤一作曲《contempt》、福島諭作曲《Amorphous ring II》)



Nov.23,2010:東京,原宿 VACANT 前田真二郎+福島諭+濱地潤一(ライブ上映)

大木裕之presents『ネオハイブリッド宣言2「家と躯(カラ、ダ!)」第3次世界大戦をのりこえるためのLOCALな道』

濱地潤一作曲《prelude》&《croma》



Dec.03,2010:東京,昭和音楽大学 ユリホール 福島諭×濱地潤一「IC2010 特別企画2「せがれの背丈」

《Amorphous ring II》再演



2011年は《変容の対象》と楽譜制作の作業
楽譜付きCDR「contempt for sopranosaxophone and computer」完成



May.12,2012:画廊FullMoon 「respice finem」

福島諭作曲《Amorphous Ring II》&《無題1:氷中フロレットより移植されたもの》
濱地潤一作曲《埋没する3つのbluesに捧げるcondensed music》初演



Oct.12,2012:新潟市中央区ヤマハホール「新潟の作曲家・越の風2012」
濱地潤一+福島諭 作曲"《変容の対象》2011年版" 初演予定